2017年4月1日午前0時。
福島県双葉郡富岡町は帰還困難区域を除くエリアの避難指示解除がなされました。
それに伴い3月31日の夜から4月1日午前0時に向けて、竹灯りを使った追悼と感謝の
セレモニー「富灯り」が雨の中でしたが開催されました。
この日、参加者は富岡町のみならず、福島県内、県外からも深夜にもかかわらず富岡町に
想いを寄せる多くの人が参加しました。
イベント主催者からは、
『 2011年の先の見えない状況の中から、富岡町民はもとより、
関係各所の皆様、支援して頂いた皆様の尽力により、少しづつ、ほんとに少しづつ進んできて
今に至ります。そこに最大限の感謝をせずにはいられません。
また、自宅が津波でながされてしまった方、帰還困難区域の方、解体した(する予定の)方など、
この時点ですでに帰らない選択をした方はもとより、大熊、双葉の方たちの事を思えば、
避難指示の一部解除といえども嬉しさを先行させるわけにはいきません。
とてもデリケートな問題です。現地でイベントのようなものをやる事に対して異論反論あるでしょう。
しかし、震災以降最大の転機であり、歴史に残るその時その瞬間を、震災で亡くなった方々や、
この6年の間に帰還かなわず亡くなってしまった300人を超す方々へ、生き残ってこの町を未来へ
つなぐ立場の我々は、天に向かって報告する義務があります。』
という内容のコメントが発表されています。
また、昨年大きな地震の被害に遭った熊本から竹灯りの演出をしている「ちかけん」さんが
協力しに来られて、あいにくの雨でしたが会場にとても綺麗な竹灯りが灯され、日付が変わる
4月1日避難指示解除の午前0時に合わせ会場に居た人々で黙祷をしました。
参加者の声
○ 今夜から富岡に住む。これからが本当の復興時間はかかるが、若い人達にも戻って来て
もらって、双葉郡が一致団結して復興を遂げられたら。
○ いわきで開催された竹灯りワークショップに参加しました。この6年間皆さんが
どんな想いをして過していたのか、灯りを見て改めて感じて時間の重さと、これから
皆さんがどんな風に生活されていくのか自分も一緒に見ていきたいと思う。
○ 感慨深いです。
○ 今日は感動しています。私の親戚も津波で5人亡くなっている。なので竹灯り、
追悼、そういう想いで見させていただきました。
○ 自分も6年前ここで働いていて津波で同僚を一人亡くした。
追悼の意を込めて手伝わせてもらった。
この雨が追悼の涙と喜びの涙だと思っている。
ロウソクの明かりを目に焼き付けて未来に向かってしっかりと力になっていきたい。
○ 今日ラジオ福島でこのイベントのことを聞き、主催者の方がFBでアップしているのを
みて来ました。歴史的瞬間に立ち会えて良かったです。
○ これからが復興だと思っています。一生懸命頑張っていきたいと思います。
そして主催者からは、
『感謝と追悼の奥にもう一つ伝えたいことがあって、俺たち富岡町民、この6年間頑張ったよね。
そういうことを言いたかった。』
会場からはそんな声が聞こえてきました。
また、富岡町の宮本町長からもご挨拶がありました。
富岡町 宮本町長からのメッセージ
『 富岡町この0時をもって困難区域以外は解除になります。そして必ずや困難区域も
解除できる日まで一生懸命頑張ってまいります。そして、富岡町を復興させる為に、
皆さんの若い新しい力をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
皆さんと共に富岡町を真の復興ができるまで頑張って参りましょう。』
2011年3月11日に起きた東日本大震災に伴う原発事故により、東京電力福島第一原発
から20km圏内にある富岡町は一時警戒区域として指定され、一般的には町内全域に
立ち入ることができなくなりました。その後、2013年3月25日の警戒区域の再編により
帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に再編され、帰還困難区域以外は
住民の一時帰宅や復旧の為の立ち入りが出来るようになりましたが、その後もずっと
町民はそこで生活することを制限されてきました。
昨年の11月に一部オープンした複合商業施設『さくらモールとみおか』は3月30日に
全店舗オープンし、飲食店やホームセンター以外にも薬局やスーパーなどが出来て、町民や
復興に向けての作業員の方達以外にも、近隣の町村から多くの人が買い物に訪れています。
震災から丸6年が経ち、ようやく本格的に復興に向けての第一歩が始まりました。
しかし、帰還困難区域はまだ続き、住民も一部しか戻っていない現状です。
まだまだ復興に向けての問題や課題は多く残されています。
東京電力の電気は福島ではなく東京を主に関東圏内で使われています。
そこに住む私たちは、福島の事と思わずにもっと関心を持っていくことが必要だと思います。
挿入歌 : 三ケ田圭三 / BGM : Hatis Noit