2014/03/25 社会
「東電前アクション」園良太さんインタビュー:若者達が極度の管理社会の中で支配を打ち破るためには

3月16日、ヨーロッパでのデモの最中に撮影された映画 『怒れ!憤れ!−ステファン・エセルの遺言−』上映後のゲストとして来場した園良太さんにインタビューを行った。東京を拠点に活動している園さんはイラク戦争がきっかけでデモに参加するようになり、現在「東電前アクション」などの活動をしている。園良太さんに現在日本で若者が声を上げないことや、若者の無関心や沈黙の「ツケ」、メディアリテラシーや竪川河川敷公園で彼が見たものについてお話を伺った。

【若者が社会問題に対して声を上げないことについて】

若者が悪政を行っている権力に対して無関心、もしくは従属的であること、デモや投票行動などで社会参加しないことによって被害を被っていくのは若者達本人であると園さんは言う。

仕事はないのに税も家賃も高いというお金の問題や、原発事故が続いているのに再稼働まで狙われ、これから先も健康が脅かされ続けるという状態は、大衆が黙っている限り改善されるのは難しい。

園さんは社会運動は本来若者にとって楽しくやりがいのあることだという。逆に若者が意見しなければ、世の中は古い人間やシステムによって支配され続ける。若者は会社や世の中の歯車の1つとして組み込まれ消費的に使われたり、仲間との競争を煽られるのではなく、仲間と共に信頼しあって世の中をつくりあげてゆくという姿勢を持ち、世の中のど真ん中の問題に対して声を上げ意見し参加するということが非常に大切。若者は社会の中で何かを自分たちの手でつくりあげる過程で自信を持ったり、様々なことを学んだり、仲間を増やしてゆく。そういった経験ができない若者達は様々な面で損をさせられているし、このままの状態なら、仕事、放射能の健康被害、社会参加の面で被害を被り続ける。

【弱者や社会正義を叫ぶ人達に対するバッシングについて】

日本のマスメディアの弱者に対するバッシングは、本来批判されるべき安倍政権や大企業から大衆の注意を反らしている。手軽にフラストレーションをぶつける相手、弱者や芸能人や犯罪者を大衆に提供する週刊紙を、人間は俗っぽいところがあるから買ってしまうけれど、マスコミはひたすら売れるものを作り続けるマシンのようなものなので、消費者はもっとまともなものをつくるように要求したり、購入をやめなければ、悪循環は止まらない。メディアによるバッシングや醜い世論ばかり見せられていると、人々が前向きに世の中を変えてゆこうという気持ちにもならないし、そういった文化は憎悪を生むばかり。

【メディアリテラシーについて】

イラク戦争がきっかけで活動を始めた園さんは、戦争というものの実体を理解するには、人が殺されている現場を見ないとわからないと言う。イラク戦争の時に日本人が現地で人質にとられバッシングを受けた。人々は「自己責任」だと批判した。そのようなバッシングは、現地に赴いてメディアの先にある真実を知ろうとする人々に対する社会的な圧力だと園さんは言う。

現在日本のメディアは戦争の悲惨さを伝えることよりも、中国や韓国を敵視する報道を連日流すことに終始し、危険な方向に向かっている。戦争とは人殺しであるということが今の日本で一番隠されていることだと園さんは言う。

様々なメディアを見比べて考えるだけではなく、批判的な目を持ってメディアを見ること、そして何が報道されていて、何が報道されていないのか、誰がメディアを所有していて、どんな動機や目的の元に誰に向けてメディアプロダクトがつくられ報道されているのか考えることが大切。

そして消費税増税や格差社会の問題は自己責任ではなく、皆が被害者であるということに気づく機会もメディアは奪っている。政府の政策や悪政を批判する代わりに、市民の「自己責任」だと責任転換されている。市民はひたすら我慢しなさい、耐えなさい、スキルを磨きなさいと言われている状態だ。

【竪川河川敷公園で見たものについて】

公園とは誰でも入れて、そこで何をしなければいけないわけでもない自由な空間。

竪川河川敷公園では、ホームレスの人達がテントを張り、テーブルを持ってきて、一緒にお茶を飲んだりして非常に和気あいあいとしているし、狭いアパートに何万円も払って住んでいるような物悲しい生活よりも開放感があると園さんは公園の様子を語った。

マイホームや家賃を払ってどこかに住むというシステムは、資本主義の支配の仕組みの一旦を担っている。人々は家賃やローンを払うために働くからだ。それが無くなると、人々を労働やお金に縛り付ける支配の仕組みが壊れてしまう可能性がある。

1997年まで、新宿の西口には段ボール村があったが、東京都は段ボール村を強制撤去して、都庁に向かう動く歩道をつくった。その目的は動く歩道ではなく、ホームレスや段ボール村の撤去だと園さんは言う。しかし例え公共の場所から排除されても根気強く、人のいられる場所や政治的な意見を表明したりすることのできる自由な場所を街につくってゆかなければいけない。

アメリカやヨーロッパの街にはデモのビラやストリートアートがそこら中にあるのに日本にはない。日本の街は管理されていて、自由な街では無くなってしまっている。

【極度に管理された社会で育った若者達へ】

例えば音楽をやっている人はアルタ前やハチ公前、街で音楽をやればいい。怒られても「でもここは皆の場所じゃないですか」とちょっと反抗してみる。すると気合いが入る。狭い室内に追いやられない為には、堂々と自分たちの場所を守らなければいけないという気持ちが生じる。街はみんなの場所である。自分たちは既に様々なデモをやっているのでデモにも来てほしい、と園さんは若者へメッセージを送る。

もしも大学に在学中なら、大学で自主的に勉強会を開いたり、大学の入り口でビラを配ったり立て看板を立てることもできる。近年デモと言えば外国でばかりやっているようだけれど、以前の日本の大学は学生が自由に議論し社会運動も盛んな解放区だった。自分の大学が70年代に一体どんなだったのか少し調べてみてほしいと園さんは言う。

支配は想像力を奪う。今では大学内にもセブンイレブンがあったりして、どんどん学生達はなんでも買うだけでいいようにされている。今の日本社会は若者に自分たちで何かをつくる余地を与えない。今の自由は本当の自由ではないということにまず若者達に気づいてほしいと園さんは言う。何も無いところから自分たちでつくる方が、既に誰かがつくったものを買うだけの状態よりも本当は遥かに自由だ。既に誰かがつくったものやサービスを金で買うのでは無く、友達と協力して何かをつくってみる、それが支配を打ち破る第一歩だと園さんは言う。

 

プロデュース :蜂谷翔子
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