2019/02/21 地域
復興への一歩「まち・なみ・まるしぇ」 〜 福島県双葉郡浪江町 2017年 春の日の記録 〜

福島県双葉郡浪江町は東日本大震災で地震と津波と原発事故により
甚大な被害を受けた町の一つです。
 



震災時、浪江町では震度6強の揺れと15mを超える津波を観測、
それに伴い約1000の事業所が被災し、
死者は182人(うち行方不明者31人)
津波や地震による家屋の全壊は651戸にのぼりました。


また、近隣にある東京電力福島第一原子力発電所の事故により
、震災当時21,000人を超える全町民が
避難対象となり、避難者の方達は
避難先を転々とし、役場機能も1年半で4回移動になったといいます。

この長引く避難生活での震災関連死は428人とされています。

                  

原発事故の直後、国や県、東京電力から浪江町への連絡はなく、浪江町では
テレビ等の報道を見て
避難を実施したそうですが、当時は緊急時迅速放射能影響 
予測ネットワークシステム(SPEEDI)による
放射性物質拡散予測の計算結果は
公表されなかったため、結果的に高線量の地域に避難してしまい、
多くの町民の
皆さんが避難先で放射線を浴びてしまうことになったそうです。

 


その後、浪江町は国が指定した警戒区域から「帰還困難区域」「居住制限区域」
「避難指示解除準備区域」
に再編され、徐々に除染作業や復旧作業が進められて
震災から6年経った平成29年3月31日にようやく
「帰還困難区域」を除き
避難指示が解除されました。

平成31年1月末時点での居住者は896名 596世帯。

        
                      (参照:浪江町役場 H.Pより)




  
避難指示解除に向けて、その前段階の「準備宿泊」が平成28年11月から始まるのを
受けて、同年10月末に
浪江町役場の敷地内に仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」
がオープンしました。


この仮設商店街の中には飲食店やお土産屋さん、ホームセンターやコインランドリー
など、最低限生活に
必要な店舗が入っています。


町は少しずつ復興に向けて進んでいますが、一方で浪江町の8割は未だ
帰還困難区域になっており、
課題も多く残っています。


 

今回の映像は避難指示が解除された翌月(2017年)4月中旬に「相双ボランティア」
を通じて浪江町に
ボランティアに行った際に、立ち寄った時の映像です。

地元の方に連れて行って頂き、現地でお昼ご飯とお土産を買い、近くの請戸川で桜を見ました。



      

間も無く震災から8年が経とうとしています。


特に原発事故により未だに大きな被害を受けている場所では、まだまだ課題も
多いですが、それでも
自分の故郷や思い入れのある場所に帰りたいという人が
いる以上は、その選択肢を残すことが必要です。



その為に一生懸命動いている人たちがいます。




私たちはその事をどのくらい知っているでしょうか。。

同じ日本で起きている出来事です。

もしかしたら自分の町で起きていた出来事かもしれません。



 

この場所で復興に大事なのは除染作業などはもちろんですが、医療や買い物、
インフラの復旧など
生活ができるような環境が必要です。
そして少しずつですがこうして前に進んでいます。



現在、浪江町には買い物施設としてコンビニ2店舗と仮設商店街
「まち・なみ・まるしぇ」がありますが
先日スーパーのイオンが
浪江町に今年の夏、出店する意向を示しました。

また、町には飲食店なども少しずつ増えてきています。
 

同じく近隣の町も少しずつ、でも着実に復興に向けて頑張っています。



 

福島は自然が豊かでの名所も多いです。

今年の春もきっとここに綺麗な桜が咲くと思います。


 

浪江町の状況は浪江町のホームページで細かく紹介されています。


 
また相双ボランティアでは、家屋の片付けや草木の伐採、側溝の掃除など
双葉郡の皆さんのお手伝いをされています。

ご興味ある方は是非こちらもご覧になってみてください。
  

相双ボランティア http://sosovolunteer.com/  
 



  

最近の浪江町の一部報道を受けて少しでも現状を知って頂きたく
2年前の記録を記事にしました。私もまた訪れたいと思います。

 

* 「避難指示解除準備区域」年間積算線量が20mSv以下
  「居住制限区域」年間積算線量が20~50mSv
  「帰還困難区域」年間積算量が50mSv以上、5年間たっても
   年間積算線量が20mSvを下回らないおそれがある区域



プロデュース :城島めぐみ
Comment

コメントは管理者が承認後に表示されます。

Page Top