2014/02/02 地域
ソチ直前、ジャパンパラ・アルペンスキー閉幕。オールラウンダーをめざす最強チームがここに!

 

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ソチ直前、ジャパンパラ・アルペンスキー閉幕。オールラウンダーをめざす最強チームがここに!

 

 

 

1月25日から28日まで4日間、長野県白馬村八方尾根で行なわれていたジャパンパラ・アルペンスキー競技大会の全日程が終了した。発表された日本代表11名のうち、小池岳太(セントラルスポーツ)が遠征中のケガとリハビリのため欠場、日本代表からは10名の参加となった。天候に恵まれ、大きな事故なく終わった。ソチパラリンピックをめざす日本代表選手たちは、昨年10月からシーズンのワールドカップを転戦、帰国の疲れもある中で、白馬に挑んだ。結果は、座位は森井大輝(富士通セミコンダクター)、立位は三澤拓(キッセイ薬品工業)がそれぞれ4種目中3種目を制してトップクラスの強さをみせてくれた。最強の障害者アルペンスキーチームへ!

ジャパンパラが終わった翌日、29日から日本代表選手らの合宿が同じ八方尾根のゲレンデで行なわれた。初日はSGのポールをセットした。馬止めジャンプを飛ぶ、バンクーバー金メダリスト狩野亮
ジャパンパラが終わった翌日、29日から日本代表選手らの合宿が同じ八方尾根のゲレンデで行なわれた。初日はSGのポールをセットした。馬止めジャンプを飛ぶ、バンクーバー金メダリスト狩野亮

日本選手団主将でもある森井大輝につづいて、バンクーバーSG金メダリストの狩野亮(マルハン)、世界のスラローマーに成長した鈴木猛史(駿河台大学)が表彰台にあがった。3人は、今や最強のチェアスキー軍団として、世界に知られるようになった。

三澤拓は、4年前にあった「根拠のない余裕感」を拭い、トレーニングやフォームの改造に力を注いだ。先輩格である東海将彦(エイベックス)にスラロームでの復活戦優勝の座を譲ったが、ソチをめざしトレーニングを続けてきた疲れと充実感が、安定した印象を放っていた。

2011年7月、長くオリンピックチームを率いた経験と人望でトリノからの選手とスタッフを引き上げてくれた松井貞彦監督が亡くなった。「苦手種目を作るな」という松井監督の教えを引き継いだ丸山寿一監督はじめ、志度一志、切久保豊の両コーチは、監督が掲げた目標が徐々に花開いているのを目の当たりに感じていた。

その始まりは、2012年3月に森井大輝がワールドカップでシーズン総合優勝を成し遂げたことだった。それから、毎シーズンつねに、チームの誰かがワールドカップの表彰台にあがっている。

待望の後輩たち

村岡桃佳、合宿1日目の滑走。
村岡桃佳、合宿1日目の滑走。

チームはこの4年間で新たな仲間を得た。ジュニアから、立位の山崎福太郎(信州大学)とチェアの村岡桃佳(正智深谷高校)が加わり、ソチ・アルペンスキー日本代表チームを活気づけている。

村岡は、父・秀樹さんとともに小さな頃から車いす陸上に親しみ、ハーフマラソンやトラックでのレースに出場してきた。アルペンスキーは3シーズン目になる。クロスカントリースキーからもお誘いがあったが「スピード感があって楽しく、かっこ良い!」が、村岡がアルペンを選んだ理由だった。今シーズンは早くもワールドカップで優勝を果たし「センスを持っている」とチーム関係者が口をそろえて言う。

三澤拓との出会いでアルペンスキーを始めた山崎福太郎は、右腕欠損・左足義足という障害で、子供の頃から野球やサッカーなどに親しんできた。今回のジャパラは最終日のSGで表彰台に上がることができた。合宿での遠征、大会、パラリンピックとすべてが初めての中で、どう感じ、変わっていくのか。静かな、自分自身への挑戦心を燃やす立位の先輩たちの中で、おもいっきりスキーを楽しむことができるラッキーボーイだ。

それぞれの目標で個別に練習することの多い選手たちだが、トリノから始まった主力メンバーの強さが滲みでる時期、2名の後輩による新たな風をいれながら、近い距離で見つめ合い励ましあっている。松井監督がくれた言葉が響くこのチームでのソチへの時間があと僅かとなった。

<参考>
「松井さん、ありがとう」(2011年10月23日)の記事へ

(佐々木延江)

http://www.paraphoto.org/2006/?article_id=947

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