学校って何だろう〜授業のない学校・東京サドベリースクール〜
学校って何だろう。そう考えたことはありますか。
現代日本において大半の子どもが「学校」に通っています。小学校、中学校では義務教育が提供され、親には教育を受けさせる義務があります。「教育」は人生を豊かにするものであるし、教育を受けなかったがゆえに起きてしまう悲劇もあります。では、どんな「教育」が望ましいのでしょうか。どんな「学校」を目指せばいいのでしょうか。どのように教え、学ぶのか、「学ぶ」ということに真摯に向き合っている一つの「学校」を紹介したいと思います。
東京の閑静な住宅街にある東京サドベリースクール。外から見ると普通の一軒家に見える建物が「校舎」です。中では、年齢様々な10数人の子どもたちがソファや床でバラバラなことをしています。読書やパソコン作業、ゲームに熱中している子もいれば、数人で談笑したり、テーブルで話し合いをしている子どももいます。休み時間なのでしょうか。しばらく様子を見ていますが、この状態が延々続きます。いつまでたってもチャイムは鳴らず、授業は始まりません。先生が「きちんと勉強しましょう」と注意することもありません。どうやら、みんなで一斉授業をやるという雰囲気はなさそうです。
東京サドベリースクールは、アメリカボストンにあるサドベリー・バレー・スクールをモデルにして2009年に開校しました。「人は本当にやりたいと思ったときに一番よく学ぶ」という信念から、生徒がやりたいことを自分で探し、追求するというスタイルをとっています。読書でもいいし、ゲームでもいい。計算でも、料理でもいい。自由なのです。決まったカリキュラムや授業はないし、「先生」もいません。皆で決めた掃除やミーティング以外の時間は、一人一人が「自由」に過ごします。
この学校にもルールはあります。実は、そのルールも長い時間をかけて、スタッフと生徒が一緒に作ったものです。サドベリースクールはとにかくミーテイングが多いのです。生徒もスタッフも平等な一票を投票し、学校のルールやスタッフの人選まで決めて行きます。学校の経営に関する話し合いにも参加します。スタッフは「教える」人ではなく、学びたいことを進めるためのアドバイスや環境づくりをしていく存在なのです。
自分がやりたいことを自分で選ぶことが出来る、締め切りも点数もない、というのはうらやましい限りですが、「何でも自由にしていいよ」と言われたら果たしてどうしますか。12歳の在校生が言います。「3年間ゲームをしていたけど、あるとき飽きて、次に勉強にはまった。筆算がやりたくなって勉強した。楽しかった」。
楽しむだけでなく、自由に伴う責任も若いうちに経験することが出来る、というのがこの「学校」の大きな特色です。サドベリースクールは現在の制度やカリキュラムに縛られないため、学校の卒業資格は適用されません。この学校を選ぶということ自体、大きな選択です。入学後、親も子どももスタッフも試行錯誤します。
「この子がどうするか、自分で決めるのは当たり前かなと思うようになった。自主性は子どもを切り放したときに生まれてくる」(保護者)
「(泣いても)結局誰も(なぐさめに)来なくて。本当に来ないんだなと思った。来ないならしようがない、自分から行くか、と思った」(在校生)
「子どもを100%信頼するなんて。楽じゃない。親子で苦しいけど、(子どもが)自分で考えていっている過程を今見ている」(保護者)
「本当の自由というのは、皆で気持ちよく過ごしている状態を言う」スタッフの杉山さんは言います。サドベリースクールの子どもたちは、「自分のやりたいことを選んで生きる」という、易しいようで難しいチャレンジに挑んでいるのです。試行錯誤しながら自分を見つめ、やりたいことを探し、ときには人に助けを求め、「自分の人生を生きる」という大きなチャレンジに挑戦している東京サドベリースクールの皆さんを応援したいと思います。
東京サドベリースクール http://tokyosudbury.com