この動画の要点
- 大館市出身の歌手、秋野紗良さんが、音楽の道に進むきっかけとなった父の死や、その後の人生の歩みを語ります。
- 高校卒業後、1年間にわたり秋田や北海道を徒歩で巡る「旅人」としての経験が、彼女の人間観や歌声に深い影響を与えています。
- 現在は東京を拠点に活動しながらも、故郷・大館への強い愛着を持ち、地元の祭りやイベントで積極的に歌い続けています。
- 2020年10月の大館きりたんぽまつりや、11月の御成座でのライブ、チャペルコンサートなど、地元での活動予定も紹介されています。
全文書き起こし
大沢かおる(司会):大館の皆さん、そして世界の皆さん、こんにちは。大館タイムズ始まりました。この時間は大館スタジオ「ハチスタ」からお送りしております。今回のゲストは、秋野紗良さんです!
秋野紗良(ゲスト):こんにちは。よろしくお願いします。
大沢:紗良さんがわざわざ来ていただきました。服装もこのハチスタの背景に合わせてくれて。ぜひ俯瞰のカメラにしてほしいんですけど。
秋野:恥ずかしいからいいって(笑)。今日、お母さんに「これ着ていかない?」って言われただけです。
大沢:ありがとうございます。紗良さんはいつも大館とか、いろんな場所を拠点に歌を歌われていると思うんですけど、改めて自己紹介をいただいてもよろしいですか?
秋野:秋野紗良です。歌ってます。よろしくお願いします。生まれは東京で、5歳で大館に家族で移住して、そこからずっと大館です。高校を出て18歳ぐらいまでずっと大館でした。
大沢:育ちが大館なんですね。歌は結構前からやられていたんですか?
秋野:父親がピアノを弾いていて、お母さんが歌っていて、すぐそこで「ピアノバー秋野クラブ」をずっとやってきたので、音楽が生活の一部でした。両親が演奏して、周りの大人たちが喜んでお酒を飲んで、というのをカウンターの隅や楽屋の後ろで見ていました。自分も歌ったり踊ったり表現するのが、一人っ子だったし、伸び伸びとやっていて。歌をちゃんと始めたのは、小学5年生の時に「大館ジュニアコーラス」というのが始まって、その団員募集の便りを見て「やりたい!」と言って行ったのが、人前で歌う本当の最初ですね。
大沢:高校生になっても歌を続けると考えていたんですか?
秋野:いえ、歌でどうにかなろうとは考えていなくて、最初は習い事の一つとしてコーラスをやっていました。中学校も合唱部に入って、高校に入ってからはのんびりしたいなと思って。合唱部がちょっとハードな部活だったので、高校は茶道部に入ってお菓子を食べたりお茶を飲んだり。ダンスも始めたりしました。将来は普通に大学に行って就職して、という気持ちでいました。
大沢:視聴者の気持ちを代弁すると、ずっとその道を考えてやってこられたのかと思っていました。
秋野:そう思っていた矢先、高校2年生の終わりに、ピアノ弾きの父が突然亡くなりまして。その時に初めて、人生結構ノー天気に生きてきたんだけど、誰かが亡くなるということが身近になかったから、びっくりして。本当にもういないんだ、と。毎日帰ってくるんじゃないかと思っていましたけど、お葬式に本当にたくさんの人が悲しんでいて。そこで初めて「人って死んじゃうんだ」ということと、「じゃあどうやって生きようかな」と真面目に考えました。それまでは普通に勉強してテストでいい点を取っていればいいと思っていたんですけど、自分らしく生きることについてすごく考えるようになって。
秋野:最初のきっかけは、母に父の葬儀で歌わないかと提案されたことです。その時、高校の音楽の授業でたまたまカッチーニの「アヴェ・マリア」をやっていて、家で歌っていると父がいつも感動して泣いていたんです。「この旋律が好きで魂が洗われるようだ」って。じゃあアヴェ・マリアを歌おうと思って、お葬式のしんとした中で、緊張して泣いた後でしたけど歌った時に、歌声がするするすると気持ちよく出て。「なんだこれは」と思って。極限のゾーンにいたんだと思います。ピアノもガクガク震えていたけど滑らかに弾けて、亡くなったパパと一致したのかな。「私も音楽で生きていくんだ」とその時にビビっと思いました。
大沢:紗良さんの歌は、感動するというより「心が洗われる」という形容詞がすごく合っているなと思います。大文字まつりの時も聴いていて、一夏が終わってまた頑張れるぞと思える時間でした。高校卒業後はどうされたんですか?
秋野:鳳鳴高校だったので、そんな簡単に進学しないことを許されず(笑)。先生に毎日呼び出されて「本当にお前、鳳鳴高校か?」みたいに言われました。せめて就職はしてほしいということで、先生の紹介で大館市内で一度就職しました。土日は北欧の杜やスカイフェスタなど、あちこちのイベントに出させていただきながら。その中で「ゼロダテ」の人たちとも関わりができて。18歳の秋ぐらいに、旅人たちがゼロダテに滞在していたんです。バックパッカーや自転車の人たちが、北海道を回って秋田に来ていて。その「旅」という存在がかなりの衝撃で。汚くて臭い男たちを初めて見て(笑)。でもかっこよかったんです。実体験に基づいた言葉の迫力がすごくて。私もこうなりたいと思って、次の年の春から1年間、19歳の時に旅人をしました。仕事も辞めまして、20〜30リットルのリュックを背負って、寝袋とテントとウクレレを載せて歩きました。
大沢:大館からどこまで歩いたんですか?
秋野:本当は日本全部を歩きたかったんですけど。大館から7号線を通って鷹巣、二ツ井、八郎潟と歩いて。男鹿の方まで行って、温泉があったら入って、道の駅にお世話になって。なまはげ館のあたりで体が痒すぎて泣きました(笑)。お風呂に入らなすぎて。秋田市まで行って友達に泊めてもらって、お風呂に感動して。秋田県内を歩いている時は、ゼロダテで知り合った「ひろしさん」という歩いている方に同行させてもらって、師匠と呼んでいるんですけど、二人だったので孤独は感じませんでした。その後、ひろしさんは南へ、私は秋田港からフェリーで北海道へ行きました。そこからは一人立ちして、北海道を3ヶ月半くらいかけて歩きました。今日どこで寝るか決まっていないというのは、めちゃくちゃ怖かったです。でも歩く。お化粧もしたいし可愛い服も着たいと思ったりもして、今こうしてドレスを着られるのが本当に嬉しいです。
大沢:北海道でもいろんな出会いがあったんですか?
秋野:岩見沢という場所で、札幌から旭川へ向かう途中の長い一本道をメソメソ歩いていたら、後ろから「おーい、旅人!」と呼ばれて。金髪の大きなおじさんが「バーベキューしてるから参加しなよ」って。人見知りを発動して「大丈夫です」と言ったんですけど、「みんないるから。ママもおばあちゃんも、大きい犬もいるし、お肉もアイスもあるよ」と言われて。19歳の私は「アイス、行きます」って(笑)。行ってみたら本当にたくさんの人がいて、車関係の仕事をされているご家族で。そのご夫婦がメインでお世話してくれたんですけど、実は子供が産めなくて、この1週間は神様がくれた大切な宝物だったと言って、別れ際にボロボロ泣いてハグしてくれて。第2のふるさとができたような、ハートフルな出会いがいっぱいありました。
大沢:なぜ旅を始めたんですか?
秋野:言葉に重みがあるのがかっこいいと思ったのと、単純に楽しそうだったから。どうせやるなら自分を痛めつけるのが好きというか、遠回りが好きなんです。一番過酷な歩きにしたら、何か変われるかもと思って。父が亡くなって母も落ち込んでいたし、家から逃げ出したいという思いもあったかもしれません。いろんな世界を知る期間が必要だったんだと思います。母は弱さを見せたくないタイプで、父にしか見せていなかった弱さをどうしていいか分からなかったんだと思います。私も母を支える器がなくて「落ち込まないでよ」となってしまって。今思えば母も辛かっただろうなと思います。
大沢:その後、どうやって今の活動に繋がったんですか?
秋野:21〜22歳の時に一度大館に戻って、バーを手伝いながら秋田市の芸能事務所に所属しました。その後、もっと挑戦したいと思ってオーディションを受けて、23歳の時に舞台の出演が決まって東京に行きました。その事務所の方に気に入っていただいて、すぐに主演やヒロインをやらせてもらって。歌の枠も急遽作ってもらって、楽曲を作ったり大きなところでライブをしたり。当時は大変でした。急にポッと出の秋田から来たやつが主役をやって、自分は自信がないと言っていて。周りからしたら「なんだこいつ」だったと思います。共演者も劇団四季や宝塚出身の方々で。でも、数年活動するうちに「みんな同じ人間なんだな」というところに落ち着きました。王様もお姫様も、朝起きて歯を磨いてトイレに行って悩んで、同じ人間なんだと思ったら、人と新しく出会うことも怖くなくなりました。
大沢:ずっと東京で歌うこともできるのに、なぜこんなに大館に来てくれるんですか?
秋野:大館が好きだから!純粋にそれだけです。みんな「大館は何もない」って言うけど、私は5歳まで東京だったからこそ、お盆の時期に秋田に帰ってくるたびに、父が「自然がいいな」と言い、母は「やっと東京に出たのに」と言い(笑)。多数決を取ったら私とパパが「秋田に行きたい」となって、2対1で来ることになったんです。だから元々「好き」から入っているんです。一人っ子だったので遊び場が空想の世界で、山の向こうに虹と海があったら、とか物語を作って遊んでいました。大館は盆地だから山がいっぱいあって、広い空に思いを馳せられる。山が「おかえり」と言ってくれている気がするんです。秋田の神様が、秋田で歌う機会を増やしてくれているのかなとも思います。
大沢:大館愛が伝わってきます。秋田犬のキーホルダーもずっと付けてますもんね。
秋野:歩いてPRしてます。この間も三軒茶屋のパン屋さんで「柴犬ですか?」と聞かれて、「いいえ、秋田犬です。渋谷のハチ公は大館出身なんです」って説明しちゃいました。観光大使になりたいです(笑)。東京で出会った方が、私の歌をきっかけに初めて大館に来てくれたりするのも嬉しいです。セブンイレブンでバイトしていた時の店長も、辞めてからもきりたんぽまつりに毎年来てくれたり。繋げることにワクワクします。中高生にも、東京に出ることをマイナスに思わないでほしい。外に出て「大館が好き」と言うだけで、どれだけの人に魅力を知ってもらえるか。私も大学で「伊達丸」というあだ名で大館をアピールしていました。
大沢:最後に、今後の予定を教えてください。
秋野:10月11日の「本場大館きりたんぽまつり」の2日目、午後2時半から歌います。そして11月7日(土)には御成座で、アカペラグループ「シュガーズ」さんとライブをします。メンバーの一人が大館出身で、いつか一緒にやりたいという願いが叶いました。その翌日、11月8日(日)には清水町にある「緑の牧場教会」でチャペルコンサートを主催します。ピアニストの松永大介さんと一緒に、癒やしの時間をお届けします。「いのちがあなたを生きている」という、二人で作った曲も歌います。ぜひ癒やされに来てください。
大沢:大館にはこんな素敵な方がいらっしゃいます。皆さん、秋野紗良さんの応援をよろしくお願いします。これからも大館の魅力を発信していきます。ありがとうございました!
秋野:頑張るぞー!ありがとうございました。
概要(動画説明欄より)
『Odate Times』 #6
秋田県大館市「ハチスタ」からお届けする地域番組『Odate Times』です。
第6回の今回は秋野紗良さんをお迎えしました。
「大館の課題は、世界に通ずる。」
秋田県大館市の課題は、何も大館に限った話ではありません。
この番組では、大館に関わる方の声を「深く深く」聞きながら、
日本全国や世界にも通じる学びやアイデアを「広く広く」広げていきます。
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Ethnographer / エスノグラファー
大沢 香晴(Kaoru Osawa)
大館スタジオ「ハチスタ」MC。秋田県大館市で18年間育つ。慶應SFCに進学し社会学を専攻、大館を愛し続けUターンを決意。エスノグラフィ調査をもとに取材し、大館のためにルポやドキュメンタリー制作を行う。
https://x.com/kaoru_datemaru?s=21&t=J…
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