戦争の叙事詩はあまた書かれて来た。だが我々は未だかつて、平和の叙事詩を書き得ていない–ペーター・ハントケ
1928年に映画に初めて音がつくまで、映画は「サイレント」と言っても実際に音がなかったわけではない。音楽の生演奏つきで上映するものだった。映画マニアとなると「無音が本来なんだ」と沈黙のなかで見ようとする人も多いが、これは実は脳生理学的に無理がある。聴覚情報は視覚情報よりも早く人間の脳内で処理されるので、ちゃんとした音楽があった方が集中でき、より丁寧に画面を見ることができる。映画が最初に娯楽の王様になったその当時は、劇場に専属演奏家や楽団(日本ならば、あと説明弁士)がいるのが当然で、映画を見る体験はただ映画の作り手が作り上げたものを楽しむだけでなく、その場でライヴで行われるパフォーマンスも含めた総合体験だった。今日では特別な機会でのみ生演奏の音楽や、あるいは弁士がつく上映が行われ、録音された音楽つきの上映が普通だが、一週間限定とはいえ毎日の普通の上映でピアノ伴奏がつく生演奏つきロードショウという珍しい試みが、今週金曜(29日)まで行われている。(横浜のシネマ・ジャック&ベティにて。伴奏:柳下美恵)。選ばれた映画は、すでにトーキー映画技術も開発されていた1930年の、つまりサイレント映画の最終的な完成期に到達した最高峰のひとつとも言われるドイツ映画『日曜日の人々』だ。
サイレント映画は挿入字幕さえ入れ替えれば言葉の壁を超えて世界中どこでも見せられた(しかも日本なら弁士がつくからその必要もない)。トーキー化以降、世界の映画史上は常にアメリカ映画を中心とする英語の映画の寡占状態にあるが、第一次大戦の敗戦からヴァイマール憲法に基づく民主的国家として復興しつつあったドイツの映画は、世界の映画興行マーケットでアメリカ映画と人気を二分するほどの著しい成長を見せていた。『カリガリ博士』の世界的ヒットを皮切りに、フリッツ・ラング監督の『怪人マブゼ博士』『メトロポリス』や『ニーベルンゲン』二部作(『ジークフリート』『クリムヒルトの復讐』)、G.W.パブスト監督の『喜びなき街』『パンドラの匣』、そしてF.W.ムルナウ監督の『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『最後の人』は「ドイツ表現主義映画」と呼ばれ、世界中の映画スクリーンを席巻していた。
こうしたドイツ映画は、主にベルリン郊外のポツダムにあるUFA(現DEFA)撮影所などの大きな映画スタジオで製作され、ヨーロッパの美術建築の伝統から最先端のバウハウスなどの芸術・デザイン運動まで取り込んだ美術セットと、強烈な光と影のコントラスト、そして流麗なカメラ移動が織りなすスペクタクル性たっぷりの映像美も、ドイツ映画の世界的な人気を支えた。スタジオの屋内に巨大な空間を表現する特殊効果も次々と発明され、『メトロポリス』の未来都市に世界の映画ファンが驚嘆し、興奮したのである。
『日曜日の人々』は、そうしたドイツ・サイレント映画の完成と爛熟の時代に、その技術革新と演出術の洗練を継承した1920年代末の映画が到達した最高峰のひとつ、古典中の古典に数えられる奇跡の名作であると同時に、映画史上画期的な、時代を少なくとも二、三十年は先取りした作品であるだけではない。この映画がやっていることは、今でも現代映画の最先端、現代の映画こそがやるべきことでもある。
冒頭から、字幕が「この5人の人々は、生まれて初めて映画のキャメラの前に立った。今ではそれぞれ、自分の仕事に戻っている」と告げる。つまりこの映画はプロの俳優は一切使わず、テーマも『メトロポリス』のようなSFでも『パンドラの匣』の華麗な上流階級の社交界でも、『怪人マブゼ博士』の犯罪裏社会でも、『ニーベルンゲン』の神話の世界でも『寵姫ズムルン』の歴史スペクタクルでもない。題名の通りの普通の人々のある夏の日曜日だ。
キャメラは大スタジオに組まれた洗練されたセットを飛び出し、本物のベルリンの街とその郊外で、実際の雑踏の中に人物を放り込んで小型のキャメラで、時には手持ちで撮影され、活きた街の活気そのものを映像に写し込む。自動車に載せたキャメラから隠し撮りされた地下鉄・動物園駅(今でも西ベルリンでもっとも賑やかな街角のひとつ)の駅前の移動ショットの躍動や、郊外の湖畔の行楽地の、水上で撮影されたシーンのみずみずしい生命感が、鮮やかに目を射る。20世紀の大都市の、ごくありふれた街角は、なんと生き生きとしているのだろう。
湖畔のシーンでは、行楽客相手の写真屋がいる。遊びに来た人たちの顔が、そのキャメラの視点で捉えられる。キャメラの前に立つのは子供たち、若者、中年の女性、老人、さまざまな人たちの千差万別の顔が、はじけるような笑顔やはにかんだ顔、やさしげな眼差しで写真(静止画)になる。すべてが、まったくの普通な、名もなき市民だ。だがその最高の顔の瞬間がひとつひとつ、親しみ易さと壮麗さを兼ね備えた類い稀な肖像画となる。人間が人間であること、生きると言うこと、それがもっとも凝縮された瞬間が、フィルムに、そして人類の歴史の永続性に、確かに刻み込まれ、80年以上の時間を超えて今もまばゆくスクリーンに輝く。
『日曜日の人々』は映画がほとんど初めて、20世紀の人間とその生活に真摯に向き合った作品でもあり、映画が初めて本当に同時代の、現代のアートになった瞬間だとも言えるだろう。またその意味では、あくまで現代の演奏家が伴奏をする、それが過去の映画上映形式の再現であるに留まらず、現代の表現としての映画と生演奏のコラボレーションとしてのパフォーマンスになるのなら、『日曜日の人々』はもっとも適した番組選びかも知れない。
5人の主人公はタクシー運転手、レコード店の女性店員、骨董やらワインを売りさばくブローカーの色男、映画のエキストラ女優、そしてタクシー運転手の妻であるモデルだ。映画はまず土曜の午後にこの5人をそれぞれの日常のなかに紹介し、土曜の夕方にエキストラの女性が色男と出会い、晩にはタクシー運転手と妻のモデルのアパートを、色男が訪れる。日曜日、色男とタクシー運転手は郊外に遊びに行くが、モデルの妻は家で寝たままだ。待ち合わせをしていたエキストラの女性は親友であるレコード店員を連れている。4人の男女が一緒に過ごす日曜日の、ドラマとも言えないようなささやかな男と女の関係の、葛藤と言うほどでもない微妙なさざ波と和解、そしてちょっとした恋の予感。日曜日の夕方に女2人と男2人は別れ、タクシー運転手は日曜日を寝て過ごした妻の待つ家に帰り、そして彼らも含めた5人は月曜の朝から始まるいつもの仕事、いつもの生活に戻って行く。
現代ならハンディカムで、自主映画を目指す若者がとりあえず作れそうな映画、とすら言ってしまえる。むろん映画史がもう少し複雑なのは、今ならデジタル・ビデオで簡単に撮れてしまうのに相当することを当時やるには、それが出来る小型で機動性のいい映画キャメラや、大規模な照明が不要な感度のいいフィルムといった技術革新が必要だった。そして1930年代以降、映画はトーキー時代に移行し、今まで以上にスタジオの中でないと撮影が難しくなった。『日曜日の人々』のような街頭ロケが本格的に再び可能になるのは、40年代後半のイタリア映画、そして世界の映画史を塗り替えたとされる1959年から60年代前半のヌーヴェルヴァーグの時代を待たなければならない。『日曜日の人々』が20年、30年は時代を先取りしていたというのは、そういうことだ。
1929-30年のドイツのヌーヴェルヴァーグとも言える『日曜日の人々』は2人の若手監督、29歳のロベルト・ジオドマークと25歳のエドガー・G・ウルマーのデビュー作で、脚本のビリー・ワイルダーは23歳、22歳のアルフレート・ジンネマンも演出と撮影の補佐で参加している。
まさに若手の結集した新しい映画と思いきや、撮影監督のオイゲン・シュフタンはあの『メトロポリス』の壮麗な未来都市を映像化した特殊効果撮影の大家だ。若い監督達もそれぞれに20年代ドイツ・スタジオ映画のなかで経験や勉強を蓄積しながら、チャレンジしたのがこのまったく新しい映画作りの実験だ。若い感性で自分たちの等身大のベルリン市民を見つめ、ささやかな生活のディテールを見落とさず、そのなかに繊細な人間の心の揺らぎと喜びを映し出す演出には、一方で確かな技術と「映画とはなにか」「映画でなにが出来るのか」の強烈な意識があるからこそ、実現したものでもある。
もちろん名もなき庶民、普通の人々を撮った映画だってなかったわけではない、たとえば20年代ドイツ映画の最大のヒット作となったムルナウ監督の『最後の人』がそうだが、それでもやはりジオドマークたちの仕事が一線を画すのは、スタジオ映画の神々しい、夢めいた異世界を演出するオーラに満ちた空間ではなく、生活のなかの人間の本当の在り方、そこにきらめく人間が人間であることのディテールにこそ、映画が映画となる輝きを見いだしたことだ。これは現代、21世紀という時代に映画がどんどん等身大になり、多くの映画作家がやろうとしていることでもあり、そして『日曜日の人々』ほどの繊細に煌めく奇跡、本当に普通の人々が発する普遍の美の輝きには、まだ誰も到達していない。
1930年に発表されたこの映画だが、冒頭クレジットにはあえて1929年という撮影された年が記されている。この29年と30年という年代にも、もしかしたらこの映画の魅力を読み解く鍵があるのかも知れない。撮影されたのは1929年の夏、ベルリンは第一次大戦の敗戦の混乱からやっと立ち直り、平穏な日常が取り戻され、街の活気のなかで人々がささやかな幸福を目標に前向きにやっと生きられるようになった時代だった。だがその秋の10月にはニューヨークで株価が大暴落、世界大恐慌の嵐はドイツ、ベルリンを直撃する。再び混乱に陥り、社会不安が一気に増大する。1930年撮影、翌年公開のフリッツ・ラング監督のトーキー第一作『M』は、この大不況による急激な社会不安のなかで少女連続殺人事件があぶり出す都市の暗部を鮮烈に映し出す、いわば『日曜日の人々』の、一年を経たコインの裏表と言える)。
『日曜日の人々』がありふれた日常の秘めた貴重な輝きとして写し取った、人生いろいろ思い通りにならないことはあるけれど、それでもかけがえのないささやかな幸福と平穏は、ほとんど続かなかったのだ。映画が完成した時点で、それは既に遠い過去のものにも見えたはずだ。だからこそこの映画の作り手達は、自分達が29年の夏に撮った、既に失われた普通の人々の普通の生活を、丹念に、もっとも魅力的に見えるように編集構成して、この映画を作り上げたのではないだろうか?
1933年にはナチス党が選挙で大勝、謀略で対抗勢力を潰しあっと言う間に独裁に至る。ユダヤ系であったジオドマーク、ウルマー、ワイルダー、それにジンネマンも、もはやドイツに居られなくなった。ジオドマークが今日知られるのはむしろ、ハリウッド40年代の新しい潮流となった暗黒映画(フィルム・ノワール)の代表的な監督、ロバート・シオドマクとしてである(代表作に『殺人者たち』『螺旋階段』『暗い鏡』など)。エドガー・G・ウルマーはニューヨークに亡命してまずユダヤ人コミュニティのための映画などを監督、徐々にハリウッドに認められ、低予算のいわゆるB級映画に独自の、文学性の香りの高い、しかし文学を言葉や台詞でなく映像と音の流れそのものに移し替える独自の美学を探究する伝説の映画作家となった(『恐怖の廻り道』『黒猫』『青ひげ』)。ビリー・ワイルダーは人間とその社会の暗部を抉る『深夜の告白』『第17捕虜収容所』『地獄の英雄』『サンセット大通り』といったドス黒いエッジの効いたドラマでハリウッドで頭角を表し、『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』といった皮肉の利いたセックス・コメディで人気監督になる。そして若きアルフレート・ジンネマン、つまりフレッド・ジンネマンは赤狩りの嵐が吹き荒れる50年代に、その空気を痛烈に反映した西部劇『真昼の決闘』でアカデミー賞に輝き、ハリウッドの左派リベラルを代表する監督のひとりになる。
40年代以降のアメリカ映画の重要な巨匠達になった彼らの最初の作品が、そのアメリカで作ることになる、人間と社会の闇をある時は直球であぶり出し、あるときは痛烈に皮肉った、ある暗さを背負った映画群とはまるで真反対に見える、この普通の人々のささやかな生活の、しかしだからこそまばゆい輝きを捉えたこの『日曜日の人々』であったことから、現代から見返すと歴史の奥深さと哀しみもまた、浮かび上がって来る。だからこそ21世紀の停滞と袋小路のなかにある現代の世界で、『日曜日の人々』は今でも現代映画の最先端なのである。
過去の、もう85年前の作品でも、それを見る観客の体験は現在のものである。キャメラが人類の歴史の永続性のなかに刻み込んだ『日曜日の人々』の1929年のベルリンのささやかな幸福は、それを今見る我々の体験としてどう感じられるのか?この映画が産まれた経緯と現代がどう呼応して今の私たち一人一人のアート体験になるのか、そのアート体験が人生体験の一部になり得るのか?現代の日本のライヴの音楽とのコラボレーションを見る/聴くのもまた、またまたとない体験になるだろう。
こと現代の日本の場合、この映画が捉えたドイツ・ヴァイマール時代の平和と民主主義の最後の煌めきと同じ状態にあるかも知れないことを、今や誰も否定できない。まだ平和で不完全ではあってもそれなりの幸福や喜びがある今の日本の姿が、『日曜日の人々』の撮影時のように、ほんの数年で遥かな過去の美しさの輝きをある哀しみや闇を背負いつつ見ることになってしまわずに済む保証は、もはやどこにもない。その今まだある普通の現代の煌めきに気づくためにも、『日曜日の人々』は今こそ見られるべき映画だ。
横浜、黄金町・シネマ・ジャック&ベティで公開中、連日16時より生演奏の伴奏付き上映。ピアノ独奏:柳下美恵 http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/681/
Menschen am Sonntag
1930年ドイツ映画
監督ロベルト・ジオドマーク、エドガー・G・ウルマー
脚本ビリー・ワイルダー(クレジットなしでロベルト・ジオドマーク)
撮影オイゲン・シュフタン(クレジットなしでアルフレード・ジンネマン)
編集ロベルト・ジオドマーク
出演エルヴィン・スプレットウサー(タクシー運転手エルヴィン)
ブリギッテ・ボルフェルト(レコード店店員ブリギッテ)
ヴォルフガング・フォン・ヴァルターハウゼン(ブローカーのヴォルフガング)
クリストル・エーラース(エキストラ女優クリストル)
アニー・シュレイヤー(モデルのアニー、エルヴィンの妻)
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