2016/12/19 国際
真珠湾攻撃の電報を読み解く~ニイタカヤマノボレ、トラ・トラ・トラ~

真珠湾攻撃の電報(電文)は神奈川県鎌倉市に住む山田海人氏が写しを持っていた。ひょんなきっかけでそれを知ることとなり、より詳しい話を伺うこととなった。

 

写しとは言え本物である。あまりにも有名な「ニイタカヤマノボレ」「トラ・トラ・トラ」の暗号。これらは、受信した側が解読し平文に直す。平文に直したものが今回の電文である。

 

何が書かれているのか。平文とは言ってもいろいろな略号を使って書かれている。例えば、「GF長官」と書いてあればそれは山本五十六司令長官を指す。

 

「一二〇八」と書かれていれば、それは「ヒトフタマルハチ」と読み、日付を指す。また電報の緊急性を表す印は旧漢字でもある。歴史を感じさせる。

 

なお、山田氏は、この資料を20数年前にある国会議員からもらったとのことである。太平洋戦争のきっかけは、この電報ですとのことで、大事なものであるということはすぐ分かったそうである。

 

山田海人氏は鎌倉の歴史を古くは戦前から、ごく最近に至るまでまとめる作業もしており、その歴史の中から戦争に関わる部分も話してくださった。

 

昭和15年頃には大船近辺に海軍燃料廠があったこと。横須賀の海軍基地に近いことからその場所が選ばれたこと。ここの燃料がおそらくは真珠湾攻撃にも使われたであろうこと。

 

太平洋戦争により、北鎌倉地区は東京湾要塞地区になり写真撮影禁止区域になったこと。例えば、貨物を積んだ横須賀線の撮影すら出来ないのである。

 

戦後、最初は材木座に、その後は燃料廠の跡地に移転し「鎌倉アカデミア」という大学が出来、今で言うクリエイティブな授業を展開していたとのこと。それ以外にも経済や文学などの授業を行なっており、著名人も多く輩出している。

 

また、大船には捕虜収容所があったとのこと。これもまた、グアムなどから捕虜を連れてくるため、軍港の横須賀が近いこの場所が選ばれた。また大船に捕虜収容所があったため、大船は空襲を免れたと考えられること。隣の横浜は空襲されている。

 

山田海人氏は、身近な歴史を図書館などで調べてみることを勧める。近世の地域の情報を調べることで自分たちの暮らしに影響することや、埋もれた歴史を発掘することが今に生きる者にとって大切なことだと。

 

自分の地元で何があったか、知るのは大切なことである。戦争というのは良き足がかりとなろう。広く知られていない歴史を発掘し記録し、それらを積み重ねていけば貴重な資料と成り得る。

 

もちろん真珠湾攻撃といった大事の何たるかを知るのはとても大切なことである。それと同時に、足元の歴史にも共に目を向けたいものである。

 

【追記】「国会議員からもらった」の段落を追記しました。(2016.12.21)

プロデュース :西村晴子
Comment

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  • きだ 2016-12-21 09:20:10
    面白い映像でした。
    資料映像的には、それぞれの書面の静止画像が欲しかったかな。

    念のため、それぞれの資料の文面情報を書き出しておくと、

    <一枚目>

    12月7日

    軍極秘 暗號(暗号) 
    送信場所 東京
    指定 緊急信
    番号 一一三
    發信者 聯合艦隊
    發信者 GF長官(注・聯合艦隊長官・山本五十六)
    周波数 8350KC

    本文
    GF 七七六 七日  〇二〇〇

    聯合艦隊電令 第一三號

    皇国ノ興廃繋リテ此ノ征戦ニ在リ
    粉骨砕身各員其ノ任ヲ 完ウセヨ

    本電 十二月七日 〇六〇〇  発令  (終)

    (注)この通信は、連合艦隊トップから、全ての部隊に宛てて発信されたもので、特定の受信者を指定していない。

    <二枚目>

    12月8日

    軍極秘 暗号
    受信者 赤城(注・空母攻撃部隊旗艦)
    發信者 r?(注・空襲部隊指揮官・淵田美津雄中佐のコードと思われる)
    指定 緊急信 
    番号 三
    周波数 7635KC

    本文
    奇襲成功セリ 〇三二二
    [艦橋届済](注・証言者は「赤城艦長以下~」と説明しているが、赤城が艦隊旗艦であることを思えば、艦隊司令長官以下、艦隊司令部が上位報告対象者と考えるべきで、この場合は、赤城の通信室から艦橋に報告を行ったことの記載。)
    暗号暗号 ト(・・―・・)ラ・(・・・)トラ・トラ

    (注)この通信は、真珠湾空襲の参加航空部隊トップである淵田(発信者)から、攻撃空母部隊の旗艦である赤城(受信者)に向けた奇襲成功の報告。

    <三枚目>

    12月8日

    軍極秘 暗号
    發信場所 赤城(注・奇襲艦隊旗艦)
    指定 緊急信 
    番号 六
    送信者 GF長官 
        軍令部総長
    受信者 GF
        各長官
    發信者 機動部隊指揮官(注・南雲忠一司令長官)
    周波数 2760KC

    本文
    機動部隊 八四四   八日  〇八〇〇

    敵主力艦二隻轟沈四隻大破
    巡洋艦約四隻大破 以上確実
    飛行機多数爆破 我飛行機損害約三〇機 (終)
    (注・証言者は「30機を撃破した」と解説しているが、米軍の多数の飛行機を破壊し、攻撃側(日本側)の損失は約30機、というのが正しい。)

    (注)この通信は、空母機動部隊の司令長官から連合艦隊(作戦実施の総責任者)と軍令部総長(作戦立案の総責任者)宛てに作戦の結果を報告したもの。

    が、概ね読み取れる文字情報です。

    ここで示された資料とは別に

    發信場所 長門(注・連合艦隊旗艦・山本五十六が乗っていた)
    番号 二四
    發信者 GF
        GF長官
    周波数 2760KC
    暗号 D無線 六七六号
    起案 二日(注・12月) 一五〇〇

    GF電令作戦第10号
    発令日時十二月二日 一七三〇

    本文
    新高山登レ 一二〇八(終)

    の暗号資料が自衛隊の久里浜駐屯地(旧海軍通信学校)で公開されたことがあったはずです。
    ので「これが開戦の指示」「他の説によると、12月2日とか早めに打ったように言われてますけれども、実際これによると12月7日に『ニイタカヤマノボレ』の電報が発せられた」は、やや正確性に欠けるかも。今回の3枚は真珠湾攻撃電文の資料で間違いないと思いますが、3枚で完結しているものではなく、資料の一部とみるべきかと。

    先行して12月2日に「ニイタカヤマノボレ1208」が在り(ここではその資料はない)加えて12月7日付でこの1枚目の電報が戦意高揚?の趣旨で発信されたもの、というのが正しいように思います。

    ちょっと気になったので書いておきます。
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