2016/09/11 地域
広島東洋カープ25年ぶり優勝おめでとう!その創設の物語、原爆の焼け野原から生まれた広島カープ紙芝居「石本秀一物語」

広島東洋カープ、25年ぶりのリーグ優勝おめでとうございます!市民球団「広島カープ」戦後すぐの立ち上げの物語。原爆の影響も冷めやらぬ中、広島にも球団を!そして存続を!と立ち上がった人たち、そして監督、石本秀一氏のお話が紙芝居になりました。

 

人気球団、広島東洋カープはどのように生まれたのでしょうか?今や全国区にもなりましたが、地元の方たちに真に愛される球団、広島東洋カープ。カープ女子なるムーブメントも生み出す人気の昨今、今年2016年は圧倒的な強さで一位をひた走り、リーグ優勝へとこぎつけました。そんな広島東洋カープの誕生物語です。

 

広島カープ昔話「石本秀一物語」。広島に原爆が投下され、焼け野原の中…「広島にもプロの球団があればええのう」と声が上がります。戦後、他の街で再開されたプロ野球を横目に、夢を夢で終わらせまいとしたある男が立ち上がりました。石本秀一(いしもと・ひでいち)氏です。昭和24年のことでした。

 

企業だけの球団にしてはいけない。県民、市民の球団にするんじゃ。

 

石本秀一氏は太陽ロビンスや大阪タイガースの監督を歴任した方です。野球生活最後の華を広島で咲かせたい。必死で集めた選手30人。しかし無名な選手ばかり。昭和25年3月10日。開幕戦こそ負けたものの、その後、16-1で快勝するなど連勝したものだから大変です。広島の街は盛り上がります。わっしょいわっしょい!

 

けれども、広島カープもシーズンが終わってみれば最下位。本当の地獄はそこから始まります。さて、本当の地獄とは、なんだったのでしょうか。そして石本秀一氏の取った行動は。広島カープの運命とは。県民、市民の思いと行動とは。

 

昭和25年、焼け跡の中から誕生した広島カープ。昭和32年には市民球場が完成し、昭和50年10月15日、後楽園球場で、球団創設以来26年目に悲願の初優勝を果たします。その時、77歳の石本秀一氏の思いとは。

 

その後も県民、市民に愛され続ける球団、広島東洋カープ。平成28年9月10日に、25年振りのリーグ優勝を果たしました。ここに至るまでに、どんなドラマがあったのか。まずは、創設物語を、広島在住の紙芝居師である阿部賴繁(あべ・よりしげ)氏による熱演の紙芝居でお楽しみください。

 

(2013年9月1日、福島県相馬市にて収録)

プロデュース :西村晴子
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