2015/08/14 地域
あきらめないことにしたの 〜飯館村から避難した渡邊とみ子さんのカボチャに込めた想い〜

 

2015年8月11日。奇しくも東日本大震災の月命日。
1年11ヶ月止まっていた日本の原発が鹿児島県の川内原発にて
東日本大震災以降に出来た新基準のもと再稼働しました。

もう動き始めてしまったけれど、だからこそ知って欲しい一つの事実があります。

東日本大震災 東京電力福島第一原発事故により福島県飯館村から避難された
渡邊とみ子さん。地元の農産物を広めようと、飯館村でジャガイモのイ−タテベイク
やカボチャのいいたて雪っ娘を一生懸命育てていたとみ子さん達。

地域活性化の為に特産品を作ろうと何度も試行錯誤しながら育て上げ
「イータテベイク」はあと一年すれば一般にも販売が出来るまでに、
カボチャの
「いいたて雪っ娘」もまもなく商標登録されようとするところで

2011年3月11日東日本大震災が起きました。

突然の避難生活。どこにぶつけたらいいのかわからない怒りや悲しみ。

それでもせっかく作った種を絶やしてはいけないと避難先で荒れた休耕田を借りて
耕し、どんな辛い状況でもあきらめずにまた農業を始めました。

2015年5月、現在とみ子さんがいる福島市に私たちが訪れた際に、
荒れた土地でも力強く芽を出す様子を見て
「こういうのを見ると負けちゃいられない。」
と笑顔で語るとみ子さんの言葉は力強ささえ感じました。
それは私たちが計り知れない程のご苦労があったからこそ出た言葉だと思います。
あきらめない力。みんなが出来る事ではありません。

とみ子さんは現在も農作物を作りながら自分たちの基準でより厳しく
放射能検査をしながら加工品を作り「かーちゃんの力・プロジェクト」を発足
させて同じく避難したかーちゃん達と
一緒に地元の特産品や伝統の食文化を
繋ぎ続けています。

一方で飯館村は4年以上経った今も
帰還困難区域、居住制限区域、
避難指示解除準備区域の3つに区切られています。
帰れる日はいつになるでしょうか?
もし帰れても同じように住む事が出来るようになるのでしょうか?

原発が再稼動した今も尚、
核廃棄物の最終処分場や処分法はまだ決まっていません。
もしも事故が起きた時の避難経路の確保は?
地元住民の皆さんはしっかりと避難訓練出来てますか?
万が一の場合の責任の所在は?
福島の人たちのケアはしっかりと出来てますか?

まだまだ課題は山積みです。

これから私達がすべき事は、地域ごとの話合いを含め、市民を含めた
いろんな立場の人達が集まる未来へ向けての対話の場(未来会議)を
増やしていく事ではないでしょうか。
再稼働をしたことでまた同じことが起きない可能性は絶対にないとは
言い切れません。
その時私たちはどうすべきか、そうならない為にはどうすべきか。
これから他の原発も再稼働に向かっていくけれど、本当にそれでいいのか?

一方、地域の活性化や雇用の問題、代替エネルギー案は?などの問題も
簡単に答えが出ない分、たくさんの議論が必要です。
原発はその地域だけでなく、日本全国民の問題でもあります。
一度起きた事故の代償はあまりにも大きすぎます。
だからこそ知ってほしい、その時地元の人たちがどんな風に過ごしたのかを。
そして今をどう過ごしているのかを。。
最後に渡邊とみ子さんが避難中に書かれた詩をご紹介します。

またこの詩に感動して、最近出版された本も合わせてご紹介します。
故郷を失うという事がどういう事なのか、
少しでもみんなで分かち合えたらと思います。

 

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沢山悔しい思いをしたよね
沢山、沢山泣いたよ
でも、生きてる
やっぱり止まっては駄目だよ
どんなに小さな一歩でも前へ進んだら
ほらね。実ってくれたんだもの
植物は、こんな状況の中でも
頑張って生きているんだもの
だから私は
あきらめないことにしたの

   渡邊とみ子

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避難前からの渡邊とみ子さんの事が詳細に書かれた新日本出版社から出ている著書
「あきらめないことにしたの」堀米薫さん作 も合わせてご覧頂けたらと思います。

 

プロデュース :城島めぐみ

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