2015/03/25 国際
《ご飯を食べるということ》 #ぶたの解体 ※動物の解体が苦手な方は閲覧にご注意下さい。

2012年2月、タイ山岳部で暮らしているアカ族のDoi Bo Song(ドイ ボー ソン)村で一泊二日のホームステイをさせて頂いた。大学のフィールドスタディーとして、協力して頂いた現地NGOのミラー財団のプログラムの一環としての訪問でした。

 

Doi Bo Song村には電気は通っており、テレビや家の照明に使われていた。木造の高床式の家で暮らしている村人もいれば、石造りの家で暮らしている村人もいた。夜は懐中電灯がなければ夜道を歩けないほど真っ暗になるが、目が慣れれば空に数え切れないほどの星が瞬いていた。日中は暑かったが、山岳地帯であるため夜は涼しく過ごしやすかった。そして朝は四時頃から鶏が鳴き始め、その声で目を覚ました。短い滞在だったが、村人は自然の中で、自然のままに生活しているということを実感した。

 

滞在二日目に、村人から豚を一頭ふるまって頂いた。雌の豚だった。豚は年に1,2回の特別な日にしか食べないそうだ。

 

豚の首にナイフが添えられ、豚の叫び声が上がる。何人もの男性の手によって押さえつけられ、身動きが取れなくなっても、その手から逃れようと、生きようと、必死にもがく豚の姿を見て、自然と目がにじんできた。

 

「豚の姿を見続けるのがつらい。でも見届けなければいけない気がする。」

 

「自分はこの豚のように、必死に生きようとしているのだろうか…。」

 

そう思いながら、にじんだ自分の目を通して、1つの命を見届けた。

 

皮を処理し、内臓を取り出す瞬間はとても興奮した。自分も同じもの(内臓)を持っていると思うと、わくわくした。特に心臓は頑丈に守られていて、心臓がどのような働きをしているのかという知識がなくても、これは重要な器官だということが見てとれた。

 

生死の瞬間に立ち会えたことはとても貴重な経験だった。食べていくため、人間が生きていくために生きものを殺すことは、元々自然で当り前な行為だ。しかしその光景が「貴重」になってしまったことは悲しいことだと思う。この映像がきっかけで、いのちや食、そして視聴されたご自身についてなにか感じて頂ければ幸いです。

 

ご協力頂いた団体:

ミラー財団:http://www.themirrorfoundation.org/jp/

(ミラー財団ではボランティアの受け入れもしているのでご興味のある方は上記URLにて詳細があります)

プロデュース :鳴海ひかり

Comment

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  • 小宮孝一 2015-04-01 14:07:36
    残酷な映像を我慢してみました。
    豚は痛みを感じるので、恐ろしい痛みだったのでしょう。
    これを悪いことだと思ってしまうと、肉を食べる事が悪いことになってしまいます。
    弱肉強食は現実です。具体的に肉を食べることは、こういう事なのですね。
    作業をしている人たちが楽しそうなのは、肉を食べれるからなんでしょうね。
    毎日、毎食、肉を食べる事が出来る僕は、命に感謝することなどせずに生きています。
    悪ですね。
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