2014/12/02 社会
沖縄ルポ⑩金武町とキャンプ・ハンセンとダンスフロア

土曜日の夜に沖縄県の金武町にある米軍基地、キャンプハンセンの中にあるクラブで酒を飲み踊っているのは、9.5割以上が若いアメリカ人の男の子たちだった。クラブなのに全然女の子がいないから、自然と少し気の毒な気持ちになった。私を基地の中に招待してくれた21歳のフロリダ出身の海兵隊員は「金曜日の夜はもう少し地元の子とかがいるんだよ」と言った。私が見かけた日本人の女の子は自分以外に1人だけだった。

 

 

彼とキャンプハンセンのゲート1で待ち合わせをして、沖縄人(うちなんちゅ)のセキュリティーの人に身分証を見せて、ゲスト用のパスをもらった。基地のクラブに向かって広々とした基地内の道路や、綺麗に刈られた芝生の上を歩いた。基地の中に入る許可証を貼ったうちなんちゅの運転するタクシーも走っている。基地内にはアメリカのスーパーや映画館やボーリング場や海兵隊員の住んでいる建物があって、1つの町になっている。道がとても広い。

 

 

基地に行く前、基地の中に行くと言ったら、地元のうちなんちゅから「基地の中に入ったらアメリカだからな。日本の警察も入れないから気をつけろよ」と言われた。

 

 

確かに基地の中は完全にアメリカだった。クラブでお酒を買おうとしたら、日本円は使えなかった。両替できるかと聞くと、背の高いセキュリティーのおじさんが「ここで両替すると、ファッキンエクスペンシブだから、散々ぼったくられる。絶対やめとけ。ほら、1ドル125円だ。ひどい話だ。ここで両替はやめなさい。それにレディーには酒を買ってやるもんだろう」とセキュリティーのおじさんは言い「そうするつもりでした。僕がお酒は買うから心配しなくていいよ」と海兵隊の男の子は言った。彼はペルーの血が流れている南米系のアメリカ人で、将来は建築家になりたいと言っていた。両替所のあるホールの壁には、ベトナム戦争の白黒の写真が数枚飾られていた。「ベトナム戦争の写真だね」と言うと、「そうだね」と彼は言った。

 

 

ベトナム戦争当時、1日の売り上げで家が建てられるほど儲かる日もあるくらい、キャンプハンセンに隣接する金武町の景気はよかった。「金武町社交街」と書かれた古びた町のゲートには日本とアメリカの国旗が描かれていて、真ん中に鳥の紋章がある。金武町で軍放出品を売る67歳の与那嶺さんというおじいさんは、午後4時頃になると、仕事を終えた米兵達がみな金武町に出てきて「ベトナムに行くから、お金必要ないから、カウンターにみんな置いて飲みよった。死ぬかわからんから」とベトナム戦争時代の話をした。ベトナム戦争の頃は金武町ではどんな商売をしても儲かった。飲み屋なんか特に儲かったから、奥の方まで飲み屋がたくさんあったけど、今は閉まってる、と彼は言った。

 

 

彼は当時17歳くらいで、大工の見習いをしていた。アメリカ人と一緒に飲むこともあったが、言葉はわからないし、皆すぐにベトナムに行ってしまった。あの当時は1ドル360円だったけど、今はドルも安くなったから、今はあまりお酒も飲めないんじゃない?と彼は言った。

 

 

「金武町からベトナムに行った人達って、みんなあんな感じだったんですか?」と、今はすっかり寂れてシャッターの閉まった店が目立つ金武町を散策している若くて体の大きなアメリカ海兵隊員たちを指差して言うと、「そうだよ」と彼は言った。

 

 

「酔って暴れよるわけよ。車を十数台壊したり、いろんなことがある。事件事故が多いわけよ」批判するというよりかは、若者はそういうもんだというように静かにぽつりぽつりと与那嶺さんは言って、米兵の住居侵入の記事の載っている新聞を軽トラの座席から持ってきて見せてくれた。

 

 

約2年間、米兵が起こした事件がきっかけで、米兵はバーに行くことを禁止されていた。門限は夜中の12時で、食事を出すレストランや居酒屋でもアルコールは2杯までだったのが、今月の9日からアルコールの量に関して規制が解除になり、バーにも行けるようになる。

 

 

「どうしても、若い兵隊だから暴れるはずよ酔ったら。沖縄の人でも酔っぱらったらあんなするさ。9日から解除になるって新聞に載ってるから、またあんな事件とか事故起きたらまた問題になるよ。何回かあるんだよ、前にも」

 

 

「どんな子供時代だったんですか?」

 

 

「子供時代はよかったね。畑とか原野で自然があって、川でフナ釣りとかやって、今はもうできない」

 

 

「生まれたときからキャンプハンセンはあったんですか?」

 

 

「あったよ。当時はフェンスもなかったし、滑走路があったから飛行機が飛んでいた。辺野古とか、普天間とか、嘉手納とか行った?」

 

 

「行きました。選挙行きましたか?」

 

 

「行ったよ。みんな軍事基地は反対みたいね。だから10万票も差が出て。基地は本当は無いほうがいいよね。今から観光が伸びるんじゃない沖縄は?辺野古はアメリカ政府と日本政府の約束だから、強行にやるんじゃないかね。あんまり強行すぎるから。選挙で結果が何回も出たさ、名護市長とか、名護市議会議員とか、今度は知事とか、こんな結果が出てるのに、政府は強行にやるから…本当は埋めてほしくないよね、あの綺麗な海を」と与那嶺さんは言った。

 

 

与那嶺さんの軍放出品のお店から出てきた海兵隊員は2人とも22歳で、カリフォルニアの出身だった。

 

 

この町に出てきたのは4回目で、町のことはよく知らないと彼らは言った。言葉の壁があるし、思っていたよりも英語を話す人がいないし、時間もない。地元の人ともっとコミュニケーションがあったほうがいい。サンクスギビングには、名前は覚えていないけどリゾートのレストランへ行った。オスプレイを好まない人達がいることは知っていたけど、新基地のことや、辺野古に対して選挙で「ノー」となったことは知らなかった、と彼らは言った。

 

 

「なんで沖縄の人はアメリカの軍が嫌いなの?」と1人が疑問を口にした。

 

 

「例えば、アメリカの本土に外国の軍隊がいたら少し変だと思わない?」と聞くと

 

 

「そういえば、他の国は基地を外国に持っていないのに、アメリカはなんで世界中に基地を持っているんだろうって、ついこの間僕たちも話していたとこだよ。会話はその後あまり進まなかったけど」と彼は言った。

 

 

アメリカ人の友達っている?と聞くと「友達っているんじゃん一応。ジョンとか」と金武町の公園でおしゃべりをしていた3人の中学生の女の子達は言った。「北谷には(アメリカ人の)子供がいっぱいいるよ」と言った。金武町の基地にいるのはほとんどが若い海兵隊で、家族連れや子供のアメリカ人はほとんどいない。

 

 

「暴力事件とかもあるけど怖い?」と聞くと

 

 

「隣の石川で最近事件があったのを聞いてからちょっとビビってる。前までは怖くなかったけど、大きい事件があるとちょっと怖い」と言う。

 

 

「辺野古の基地について何か意見とかある?」と聞くと

 

 

「駄目だな辺野古な」と自然にひょろっと言って、3人とも駄目だ駄目だと声を合わせた。

 

 

お店は夜になったら開くよ、と女の子達は教えてくれた。キャンプハンセンには、ハロウィンの時の「軍祭り」で行ったことがある。12月1日にはクリスマスツリーの点灯式があって、町の人がたくさんくる、遊びに来たらいいんじゃない?と言ってくれた。

 

 

今日どうやって来たんですか?と聞かれて、那覇からバスできた。金武町まで77番のバスで那覇まで1500円くらいだよ、と言うと「え!安いな!」と3人は驚いていた。那覇までは遠いからほとんど行かない。

 

 

タトゥーショップの外では、ノースキャロライナ州、テネシー州とアリゾナ州出身の10代の海兵隊員たちが立ち話をしていた。1人は燃えるような赤毛をしていて、1人は図体が大きくてボソボソとしゃべり、1人は悪ガキだと誤解されやすそうな目つきをしていた。彼らは皆カリフォルニアのオーシャンサイドの基地にいたことがあって、私もオーシャンサイドのわりと近くに住んでいたことがあると言うと、海兵隊の基地のある町は皆どこか似ているよねと1人が言った。

 

 

「センシティブな質問かもしれないけど、イラク戦争についてどう思う?」

 

 

「イラク戦争には行きたいよ」と彼らの声のトーンが少し上がる。

 

 

「人を殺したいから行きたいわけじゃないよ。だけど沖縄に行くのとイラクに行くのは同じ。知らない土地に行くんだ。何か二度と見ることのできない何かをイラクで見ることができるかもしれない。もし海兵隊に入隊していなかったら、日本には決してこなかっただろうし、富士山にも登らなかった、カリフォルニアにさえ行かなかったかもしれない。もし高校の同窓会に行ったら、僕はたくさんの知らない国に行って、そこがどんな感じなのか見たり、住んでる人達を見たりしたから、そういう話をするよ。アメリカで自分たちがしている贅沢は外国には無いということが、海兵隊に入隊してわかった。アメリカで当たり前だと思っていたものがそうではないとわかったんだ」

 

 

「サンクスギビングとかは軍隊もみんなお休みなの?」

 

 

「沖縄の北部でやる『ジャングル・ウォーフェア・トレーニング』(ジャングルの中での軍事演習)でジャングルの中にいなければね」と言った。トレーニングの期間は2週間だったり1ヶ月だったりする。「自分も月曜日からジャングルに行くんだ。楽しみだよ」と1人が言った。

 

 

「サンクスギビングの4連休には何をしたの?」

 

 

「教会に行った。それから七面鳥やマッシュポテトやクランベリーソースを食べた。アメリカのホームタウンで食べるやつの方が数倍おいしいけどね」

 

 

「僕は部屋でプレステをやってたよ」と、もう1人が言って、子供っぽく笑った。

 

 

主に自分のホームタウンに関係したタトゥーを11個いれている男の子は「入隊した理由の1つは、自分の大切な人達が毎朝起きて、誰かに侵略されたりする心配がないようにしたいと僕は思ってるからだ」と言った。昔、よく故郷でハンティングをして、リスとか鹿とかウサギとかを撃って、家に持ち帰って食べていたとか、彼は自分の故郷の話をした。彼ら3人は今月の29日に富士山に登りにいく計画をしている。

 

 

私が町の人の話を聞いたり、色褪せた建物の写真を撮っていると、金武町の公園の近くでタバコを吸って遊んでいたクーニー(ニックネーム)さん(53)が、話しかけてきた。

 

 

「子供の頃アメリカ兵は怖かったけど、お金やチョコレートをくれるさ。あの頃1ドルあれば蕎麦食べて、ぜんざい食べて、映画が見れる」彼は、ベトナム戦争当時、学校に行く途中にベトナムに行くアメリカ兵の撒いたお金を拾いながら学校に行った。学校でパンはでるから、1セントでジャムを買って持っていった。当時はとても貧乏で、弁当に卵が入っている人達は金持ちだと思っていた。夕食がせんべいだけだったりした。新聞配達をしても、給料は封を切らずに親に渡した。今の子はうらやましい。時代は随分変わったな。話もしてやりたいけど、なかなか話ができないさ。また来たらクーニーさんはどこかって聞いて、話を聞きにおいで、町の人はみんな僕のこと知ってるから、と彼は言った。

 

 

「ニューヨークではいろいろトラブルがあった。自分はただふらふらしていたから、何もしないでいるよりは何かして家族に誇りに思ってほしかった」

 

 

「大学に行っていたけど、学費を払うのがきつかった。それにいろんな場所に行ってみたかった。ジェイはフィリピンに行ったことがある。僕はここにくる前にはノースキャロライナ、その前にはサウスキャロライナにいた」

 

 

レストランで食事をしていた海兵隊員の2人は言った。2人とも21歳。1人はペルー系のアメリカ人で、もう1人はアフリカ系。レストランでは日本円でもアメリカドルでも支払いができる。

 

 

文化が違うから、最初来たときまず作法を教えられる。チップは無しとか。物を渡すときに両手で渡すとか。「ありがとう」と言うとか。今は車すら持てない。軍では何をするにも許可証やプロセスが必要で、ただふらふらとどこかに行くことはできない。地元の人達とはあまり関わりがない。人々は僕らを怖がっていると言ったら言い過ぎかもしれないけど、距離を保っている。あとは言葉の壁かな。基地で働いている人達とは友達になれるけどね。戦場や歴史的な場所を訪れるツアーに最近行ったと彼らは話した。

 

 

「地元の新聞はあまり米兵についてよく書かないことを知ってる?」と聞くと

 

 

僕らは地元の学校に行って英語を教えたり、本を読んだり、ゲームをしたり、海兵隊になることはどういうことか教えたり、ビーチの掃除をしたり、古い建物のペンキを塗ったりしている。それは新聞には載らない?自分たちがここにいるのはここが戦略的に大切な場所だからだよ。アジアで何かあったらすぐに駆けつけられるわけ、それに第二次大戦の後にアメリカと日本は同盟を結んでる。新しい基地に関して言えば、正直言って基地は充分だから新しいのは必要ないと思う。ただ、決断は高いランクの人達とか政治家がする。辺野古のことは知らなかったし、仮に知っていても自分たちの意見は全く意味をもたない。それが軍だよ。自分たちは投票したりしない。言われたことをやるだけ。町に軍人がいたら、彼らを楽しませる何かしらのエンターテイメントとかが必要になるし、ベトナム戦争時はこの町の経済はよかっただろうね。すごい数の軍人がいたんだから。自分たちは若いし、もちろんクラブに行ったりとかしたいよ、と彼らは言った。

 

 

不安定な中東の情勢について聞くと、中東に行くのは楽しみだと彼らは揃って答えた。何か悪いことが起きるのを楽しみにしているわけじゃないけど、何かあったら自分たちはいつでも行く準備はできているということだよ。行く前には当然少し怖いさ。だけど兵隊は皆それを経験する。そういうもんなんだよ。

 

 

その夜、私はアメリカの男の子達と、中東にもベトナムにも行かず、キャンプハンセンの中の男ばかりのクラブでテキーラのショットをしてダンスフロアで踊ったり、タバコを吸いながら他愛のない話をして笑った。そこは沖縄の中にあるけど、もちろん音楽も人も言葉も常識もお金もルールも感覚も、すべてアメリカだった。

プロデュース :蜂谷翔子
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