2019/04/24 スポーツ
虐待児はボクサーになった~キズキのジム

平成31年2月14日ボクシングの聖地である後楽園ホールに多くのファンが吸い寄せられていく。

本日のメインイベントは、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン勅使河原弘晶(輪島功一スポーツジム所属)の初防衛戦。勅使河原は、2017年WBOアジア・パシフィック・バンタム級タイトルマッチに勝利し、輪島功一スポーツジム創設29年(平成29年時点)、念願のジム初のチャンピオンとなった選手だ。

私は、勅使河原が生まれる前に創設された、又、当時では珍しい老若男女誰でも会員として受け入れた輪島ジムの開設当初の女性会員で、以降多くのボクサーを間近でみてきた。

その中でも勅使河原は、着用しているトランクスをみてもわかるとおり、ジムの会長である元世界チャンピオン輪島功一を心から敬愛する彼もまた炎の男である。勅使河原は、“ボクシングで世界チャンピオンになる!”ではなく、“輪島ジムで世界チャンピオンになる!”と誓って、群馬から上京し輪島ジムの門を叩いたのだ。なぜ、輪島ジムなのか。それは、彼の過去をひも解いていく必要がある。

現在勅使河原弘は28歳、19歳で輪島ジムに入る前はボクシングはおろかスポーツの経験もなく、中学生で暴走族に入り少年院にも2度入所した過去がある世間でいう不良少年であった。万引きにいたっては、小学校低学年からしていたというが、実は、この万引きは義理の母親から強要されて行っていたというのだ。彼が物心ついたころから、この義理の母親に壮絶な虐待を受けていたというが、自己防衛本能なのか過去の記憶が断片的にしかないという。彼は、この思いだしたくもない壮絶な過去を同じような境遇で苦しんでいる子供たちの役に立つなら、と、快く今回のインタビューに応じ自分の過去や気持ちを丁寧に語ってくれた。

どんな幼少期を過ごしたのか。義理母から学校にも行かせてもらえず常に監禁されている状態だったという。ごはんを食べさせてもらえず、トイレにも行かせてもらえない。木刀や箒の枝などで殴られる日々。トイレに行けないためお漏らしをしてしまうと、風呂場に連れて行かれ真冬の寒い中冷水をかけ続けられる。殴ったり冷水をかけている義理の母親の顔は、笑っていたという。ごはんをようやく食べさせてもらえると思ったら、それは前日の夕飯の残りを全部ごちゃまぜにしたものに塩や味噌をたくさんかけて、さらに、トイレのゴミ等を被せたものだったという。これを無理やり食べさせられ、雑巾のしぼり汁を飲まされたりもしたという。

何も自由のない生活、恐怖だけの毎日、父親に話したくても、義理の母親からは「誰かに言ったら殺す」と脅されており、義理の母親に逆らうと何をされるのかわからないという恐怖心から口を閉ざすしかなかったという。そんな勅使河原少年も小学校4年生位になると両親が寝静まった夜中にこっそりと2階の監禁されていた自室から飛び降りて何度も家出をし、警察署にも行き、誰かが気づいてくれないかと祈るような思いだったという。小学校5年生頃にようやく父親がこの壮絶な虐待を知ることとなり、義理母と離婚をしたことで晴れて虐待からは解放され、別天地で父親と二人の生活を始めることになったという。しかし、新しい場所や学校に馴染めず、次第に自分の身は自分で守るという過去の経験もあり、“いじめらたくない、辛い怖い想いは二度としたくない”、“悪いことをして自分を強く見せればそういう事はされない”という思いから悪い仲間を作り暴走族に入り悪い環境に身を置くことで自分を守ろうとした。信じられる大人はおらず、誰にも心を開くことはなかったという。そんな中、19歳で2度目の少年院に入所した時、「僕がこんなにグレて悪いことをするのは、義理母に虐待を受けたからだ、すべては義理母のせいだ」と周りに言っていたら、それを聞いた20代後半から30代前半位の男性教官が「お前がその虐待を受けて不良になったと言っているってことは、お前の人生をお前の大っ嫌いな虐待をしていた母ちゃんに人生を決められたってことだぞ」と言われ、勅使河原にとってこれが本当に悔しく感じ心に突き刺さり「ああ、俺が悪いことをしているのは義理母のせいじゃないんだ」と思うようになり考え方が変わったという。そしてこの言葉を聞いて間もなく、少年院の読書の時間に図書室で本を選んでいたとき、ふっと手にとったインパクトのある輪島功一の顔と炎が表紙に描かれた「輪島功一の自伝本」に興味を持ち、ページをめくってみたという。この本の中に書かれている特定の言葉やエピソードに感銘を受けたというより、輪島会長が「24歳からボクシングを始めて、努力と根性でのし上がり世界チャンピオンになった」ということが心に響き、本を読み終えるころには、「俺、ボクシングで世界チャンピオンのなる!」と心に強く決めたという。これを機に勅使河原の人生が180度変わって、まじめに生活するようになり、生活を変えると周りもよい人ばかりの環境になっていったという。

現在、勅使河原は恵まれすぎているというほど多くのいい人たちに囲まれ、この環境に常に感謝の気持ちを忘れずにいる。世界チャンピオンになるという強い気持ちを自分の芯に持っているのは、虐待を受けていたからかもしれないと自身を分析し、義理母に対する恨みは一切なく許しすらしているという。

「世界チャンピオンになって自分の生い立ちや境遇を話すことで誰にでも可能性があることを伝えたい」と強く語る勅使河原だが、自身が過ごした少年院等で在院者である子供たちに向けて“誰にでも可能性があること”を訴える講演活動をしている。

キズキのジム~というサブタイトルを付けたのは、勅使河原が輪島ジムで世界チャンピオンになる!という夢と希望を持ち自分を大切にする人生を知った。また私自身も人間関係、仕事や家庭問題に押し潰されそうになった時、ジムの存在に救われ、そして、ジムの仲間達も同様のことを口にしていたからである。

 

プロデュース :中司匡子
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Comment

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  • 小川一 2019-04-27 12:50:21
    取材した人と取材された人が深く信頼し合えた時、多くの人の胸を打ち、社会にとって大切なことを伝えるができます。そのことを改めて教えられました。
  • 岡美香 2019-05-06 23:13:17
    壮絶な人生からの気付きにより「今は恵まれた環境に居る」と自分で言えるまでになっていることは、今、虐待されている子ども達の光となると思います。
    シェアさせていただきます。
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