2017/10/08 未分類
田中三也さんに自身の特攻について

4年前偶然、田中三也さんに出会いました。

その時、彼は珈琲を飲みながら「昔、飛行機に乗ってましてね、、」とゆっくりと当時の話をしてくれました。

元海軍挺身偵察機の搭乗員で、丸い虹を見たくて飛行機乗りに憧れたことや、戦争で片耳が聞こえなくなったこと、たくさんの戦友を見送ったこと、ミッドウェイ海戦のこと、戦後、自宅に帰った時に祖母がびっくりして「本物だ!」と足にしがみついたこと、etc…。

田中さんが「この人のためなら死ねる」と慕っていた、上官の仏壇に供えるために書いた文章が、誰かの目に触れ手記を出版していました。恥ずかしいことだけれども田中さんとの出会いで、私が初めて戦争関係の本を読むきっかけになりました。「彩雲のかなたへ 海軍偵察隊戦記」光人社刊

珈琲を飲み終えて彼は「戦争なんてするもんじゃないですよ」と静かに言いました。

その時「絶対、この人のお話会やろ」と思い、その月から連絡をとり、翌月から始めて4年が経ちました。今ではお話会というよりはコミニティのようになってますが、色々な出会いであちこち講演会に出かけたり、取材を受けたり、たまには遠足に行ったりww たくさんの人が集まってくるのは彼の人柄だと思います。当時も同じように慕われてたんだろうなぁ、と田中さんの本を読んで思いました。

今年で94歳になります。自宅で奥さんの介護をしながら「老老介護だよ〜」と言いつつも、頼まれた原稿のチェックしたり、調べ物したり、突然戦争の話を聞きに訪ねて来る人の対応したりと、90代の友達が田中さんしかいないので「普通の90代はどんなもんなんだろうか?」と思いなから、田中さんをい見てますww

たくさんん話がある中で、今回はあえて「特攻」についてお聞きしました。

以前、マイクロソフト社の創業者の1人、ポール・アレン氏の依頼で受けたロングインタビューです。歴史博物館 : エバレット (ワシントン州)のHP。

http://video.flyingheritage.com./v/116107796/junior-lieutenant-mitsunari-tanaka.htm

合わせてご覧くださいませ。

 

 

余談ですが、皆で「予科練平和記念館」へ行った時のことです。

展示物を見ながらみんなで「当時の関係者が当時を説明してくれるなんてすごいね」なんて話しなから館内を見学していました。

田中さん「当時はこんなカッコしててね、、、おーっ!菊池!!」

一同 !?

さすがみんなもびっくりで。。。菊地さんは田中さんの同期で、田中さんが戦地から遺骨をご自宅へ届けたそうです。

他の展示室へ入っても「お!これ俺のクラス」と田中さんww

なんかとても不思議な気分で見学をしたのを覚えてます。

プロデュース :秋元佐予
Comment

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  • 八十嶋勇浩 2018-12-05 13:17:50
    はじめまして。伯父が大変お世話になっております。
    恥ずかしながら、自分の事情で伯父とは疎遠になっておりました。
    今、伯父と久しぶりに電話で会話し、遠方の講演などへ送り迎えしてくださる方がいらっしゃると伺いました。
    本来であれば甥の私が後世の祖国のために成すべきことなのですが、ほんとうに恥ずかしい限りです。
    改めて御礼申し上げます。
    私も東京へ越す機会がありましたら、是非ともお手伝い致したく思います。
  • 秋元佐予 2019-04-30 11:20:13
    八十嶋勇浩さま、こんにちは。今、投稿に気がつきました。すみません。
    先日はお世話になりました。今週、土曜日に品川にて戦争体験放映保存の会企画の戦争体験者から直接お話が聞ける茶話会が開催されます。玉村と佐々木がお供で、田中さんが出席されます。HPに記載されてますので、お時間あればぜひ。
  • majemaje12080001@yahoo.co.jp 2020-06-09 12:00:09
    初めてお便りします、Twitterで瑞雲(彩雲)と彩雲(瑞雲)二つのハンドルネームを
    持っている者です。
    伯父が偵察11飛行隊分隊長でした。
    (20.5.11鹿屋から発進、沖縄東方で機動部隊触接中に戦死)
    三堀正司大尉(兵70期)と言います。偵察隊偵察員ということと、彩雲が搭乗機というのが田中三也様との共通点かと思います。
    不躾なお話かとは思いますが、機会があればお目にかかって、偵察隊や海軍のお話など聞かせて頂けたらと存じますが、どのようなものでしょうか?
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